過去の津波

 津波を目の前で見たのは初めてだった。三陸と違い、仙台平野の砂浜である名取には、津波は来ないと思い込んでいた。
 しかし、それは、自分の認識が甘いだけだった。
 調べてみると、名取を襲った津波は2回あった。

 貞観津波(じょうかん)

 平安時代の貞観11年5月26日(西暦869年)
 三陸沖を震源域とするマグニチュード8.3の巨大地震により津波が発生。
 仙台平野では、3km侵入したという記録がある。
 また、名取市愛島では、津波堆積物による疫病が流行したという伝承がある。
 当時の海岸線は、現在より陸側であったが、松林や貞山堀などの障害物がなかったので、3kmの侵入は、今回の津波よりも小規模だったかもしれない。

 慶長津波(けいちょう)

 江戸時代の慶長16年12月2日(西暦1611年)
 午前10時ごろ、千島列島海域かカムチャツカ半島の東側海域を震源域とするマグニチュード8.1の地震により津波が発生。
 名取に津波が到達したのは午後2時ごろで、高さ数メートルの津波が3回襲っている。
 標高5m以下は確実に、場所によっては標高10mの地域も浸水したと考えられる。
 蒲生念仏田地蔵尊(宮城野区蒲生念仏田)は、岡田・蒲生が8日間海水に浸された時,住民が東部の台地(現在の字念仏田)に集まって念仏を唱えて海水の引くことを神仏に祈念した結果,その御利益にあってようやく海水が引いたことを記念して,念仏を唱えた当地に後代に建てられた地蔵尊である。
 若林区霞目に津波到達の記載があり、若林区霞目の浪分神社にも貞観・慶長両津波の伝承がある。
 蛸薬師(太白区長町4丁目)は、慶長津波の際に蛸と薬師如来がともに打ち上げられた場所とのこと。
 海に出ている間に地震発生、津波に流され、舟ごと「千貫松」に流れついて舟を繋いだとされる、「千貫松」は名取郡千貫村の山にある松林。
 セバスチャン・ビスカイノ(1548−1615)が慶長16年来日。伊達政宗の知遇を得て三陸沿岸を調査中、津波に遭遇。一行に追随していた船2艘が沖で沈没。
 海岸近くに障害物がないのに、今回の津波より遠くまで侵入しているということは、今回より規模が大きかったと思われる。

 貞観津波以前にも津波堆積物が見つかっている場所があるが、名取市の発掘調査では、はっきりした地層は見つかっていない。
 杉ヶ袋地区には、現在の海岸から2kmのところに浜堤があり古墳が多数ある。このあたりは、2回の津波が襲っている。古墳の周辺に集落跡が見つからないのは、津波により集落がなくなったのだと思われる。

 貞観津波と今回の津波は、震源が近く、1000年周期で同じ場所の地震が原因と考えられる。
 慶長津波は震源が違う。千島の地震は、400年周期という研究者もいる。1611年から400年後は2011年である。