3月11日津波から避難
14:46初期微動
職員室にいて初期微動に気付く。校内放送で机の下にもぐるように指示、自分も机の下にもぐる。
14:46本震
1年1組は、掃除中で、子どもは教室、廊下、生活科室に分かれていた。担任は教室にいて大きな揺れを感じ子どもをしゃがませる。机を後ろに下げた状態だったため、机の下にもぐることはできなかった。それでも数名の子どもは教卓や前の方の机の下にもぐった。
3年1組は、帰りの会の途中、子供たちは机の下に潜る。
3年2組は、帰りの会の途中、机の上にはランドセル、リコーダー、体育着袋など荷物多数。上靴をすでに袋に入れている子どもがほとんど。ジャンパーなどの防寒具はまだ着ていなかった。地震の揺れを感じて机の下に潜るように指示、教室内を回り、机の下に入ったことを確認する。落ちたものを拾う子、帽子をかぶる子などあり。じっとしているように声がけ。騒いだり泣いたりする子どもはいなかった。テレビを付けたが、停電のためすぐ消えた。「大丈夫」「もう少し我慢して」を大きな声でゆっくりと繰り返し、勇気づける。
5年1組は、音楽室で卒業式で歌う歌の練習をしていた。子どもたちを音楽室の中央に集めて座らせ頭を抱えて伏せるように指示。窓の外を見ると信号機や電柱がしなりながら大きく揺れているのが見え、事の重大さを認識。信号機のランプが消えて停電になったと思った。
14:48本震継続
1年1組担任は外への逃げ道を確保しようと終始ベランダへの扉を開けた状態で押さえていた。激しい揺れに泣き出す子が出始めた。教室前方の棚の上に置いていたCDラジカセが落下。プレハブ校舎が大きく揺れているのが見えた。屋上からはがれた鉄板が落ちてきた。
3年1組では、水槽の水がこぼれ、荷物が床一面にちらばった。教室内は足の踏み場もないほど本、プリントが散乱した。金曜日だったので、上履きをすでにしまっていた子がいた。
3年2組では、教室後方の廊下寄りに立ち、教室の子どもたちの様子を見ながら、外の子どもの様子も見る。ずっと声がけをし続けた。プレハブ校舎のゆれ、ガラスや窓枠のきしむ音が響き、崩壊の危機を感じる。子どもを励ましながらも死を覚悟した。教師用机から荷物が落ち、給食台ががたがたと走る。避難した方がよいのではと考えていた。
音楽室では、揺れている時間が長く泣き叫ぶ子どもが続出した。「大丈夫」と何度も言った。音楽室後方の棚から音を立てて楽器が落ちるのが見えた。揺れが収まった一瞬に入り口の窓から3階廊下を見たら、真っ白にほこりが立っている中、パソコン室あたりの天井が落ち危険な状態になっていると判断した。指示、救助が来るまで音楽室にいた方が安全だと思いとどまっていた。
5年2組では、家にいる飼い始めたばかりの犬を心配している子がいたので「絶対大丈夫だから」と励ました。ずっと泣いている子には「必ず収まるから大丈夫」と声をかける。泣いている子に「大丈夫だから絶対みんな生き延びるから。」と声をかけている子がいた。教室では数名の泣き声が聞こえるだけでパニックにはならなかった。とにかくみんなじっと耐えていた。「机の下から出ないで、必ず収まるから。」と声をかけ続けた。
職員室では、棚の上の物、机の上の本や書類が落下し散乱した。パソコンのモニター、プリンターも落下した。
14:50校庭へ避難の指示
1階・2階・プレハブ教室に行き、校庭への避難を伝える。
1年1組は、昇降口から出てきた司書から「外へ避難」の話を聞き、子どもを鉄棒前へ避難させた。生活科室にいた子どもたちも教室へ戻ってきたので、全員が外に避難できた。泣いている子が多かったがどうすることもできなかった。
3年2組は、教務主任が廊下から走ってきて、教室前方から「校庭へ避難」と指示の声をかけてくれた。子どもたちに整列と避難の声がけをする。教室前方がひどかったので後ろに集合させた。すぐに2列に整列できたので校庭へ避難。ちょうどゆれが少し収まったタイミングであった。子どもたちはほとんどが靴なしのまま。また、ジャンパーも着ていないままだった。学級の人員確認。全員無事。在籍人数と避難完了人数を教頭に報告。靴下で出たことを心配する子、寒さを訴える子がいたが、全体的には静かに落ち着いていた。
14:55人員確認・校庭待機
3年2組には泣いたり騒いだりする子はいなかったが、隣接して避難していた他学級(1年生、4年生)に泣く子がおり、声をかけて落ち着かせた。
5年1組は、揺れが収まったときに音楽室から校庭に避難するように指示された。子どもたちはリコーダーや教科書を持って避難しようとしていたが、教務主任から何も持たないで行くように指示され音楽室入り口のオルガンの上に置いた。廊下、階段は真っ白にほこりが立っていた。揺れが来る中での避難だったので滑って転ばないように指示した。先頭は教務主任で、担任が最後尾、昇降口を上靴のまま出ると、他の学級はすべて避難済みだった。どの学年の子も動揺していて大声で泣いている低学年の子もたくさんいた。
15:00保護者来校・避難者あり
保護者が集まり始めたころ、大きな余震。体を低くして丸めるように学級内の子どもに指示。お揃いのユニフォームを着たビバホームの店員が集まり始める。同じ頃、お年寄りなども同じ場所に集まり始める。それらの人との情報交換はなし。津波のための避難だったのか、大地震での避難だったのかは不明。保護者はブランコ前からプレハブ校舎南側付近にだんだん集まり始める。保護者が東側、鉄棒前から校庭中央に向かって子どもの列、教師がその前、校庭北側校舎前付近に一般の人たちと大きな塊が出来はじめる。一部の一般の人たちが体育館下に避難しており、余震の時に目をやると体育館の窓が割れていたことに気付き、危険を感じる。
外の寒さがこたえてきて、5年2組担任がジャンパーを取りに校舎に戻る。そのうち、「トイレに行きたい」と話す子が出てきた。
激しい余震が続き、校舎が音を立てて揺れ、子どもたちの悲鳴が聞こえた。
3年生の子どものほとんどが靴下だったので、揺れが収まった時を見計らって何度か外靴を下駄箱に取りに行って子どもに配った。
15:17引き渡し開始
保護者への引き渡し開始。ブランコ付近にいた保護者が一斉に動き始める。無事を確認し喜びながら、引き取っていった。初めに引き渡した子は、はだし、ジャンパーなしで帰宅している。保護者から、「靴はないのですか?」「ジャンバーは?」「ランドセルはどうしたらいいでしょう?」などと聞かれたのですべて「今は校舎に入ることは危ないのでこのままお帰りください。荷物はあとで。」と答えた。泣きながら子どもを抱きしめる母親もいた。この時点ではもう「終わった。無事だった。」という思いが大きかった。保護者も「家の中のもの、棚から落ちてめちゃくちゃです。片付けが大変だわ。」というような会話を残しており、子どもの無事を確認できて、一安心してほっとしたという感じ。あまり緊迫感はなかった、北釜の保護者も。母親を見たとたん号泣した子がいた。美田園地区の保護者が早かった。
何回も余震がありそのたびに子どもたちは怖がる声を上げていた。ぼう然とする子、泣き叫ぶ子、さまざまだった。他学年の先生方も1年生の相手をしてくださったが、全員には対応しきれなかった。
5年2組の子の母親が車で迎えに来る途中でラジオで大津波警報を言っていると話してきた。
ある保護者から、大津波警報が出たことを知らされる。このまま学校に避難していて良いか聞かれた。下増田小学校は指定避難場所になっているので、このまま避難していて良いことを伝えた。
15:25校庭待機・引き渡し継続
待機していた母親たちに引き渡しが済んだ後、ちょっと間が空いた。迎えが来ない子どもたちが焦り始めたので、「仕事のところから来るのは時間がかかるから、まだだよ。大丈夫だよ。」と落ち着かせる。
ジャンパーと外靴を運ぶ。余震の中。ジャンパーは廊下にかけてあるものがほとんど。靴はバケツに入れて運んだ。トイレに行きたがる子どもがでてきた。「外へ出てから1時間(45分)以上たったからだな。」と思った記憶があるので3時30分ごろだったかもしれない。余震が落ち着いてきた頃で、先生方がトイレと途中について、トイレに行きたい子どもをトイレにやる。トイレに行っている子を迎えに来た人もいて「今トイレに行っています。無事ですよ。」と話をしたりしていた。この時点では、無事を喜ぶ方が大きかった。
2年2組は、3名の子が引き渡しされず、残った。
5年1組は、子どもたちの上着を取りに校舎へ行った。すでに何人か帰っていたので持ってきた上着が余った。余ったものは寒がっていた子に渡した。
1年1組は、「迎えに来ない」と不安がる子が出てきた。
3年2組は、残りの子が10名をきった頃、急激に寒くなる。みんなで『さるだんご』になるようにと教える。男の子も女の子もみんなで集まって固まって寒さを避ける。
公民館に避難した人十数名が体育館に移動することになり、ござを広げた。一時、体育館に入ってもらったが、公民館からの情報で津波警報を知り、校庭に残っていた子どもも体育館の避難者も校舎に入ることにした。
15:40校舎への避難指示・校外からの避難者多数
「津波が来るという警報が出ているので校舎に避難します。」と教頭から連絡される。その時点で3年2組は、4名残っていた。誰かが先行して校舎内の安全を確認。トイレに行っている子どものいる学級もあったため、今いる子どもが確認された学級から校舎に入るようにという指示。2階の教室へ、どの教室でもよいということ。子どもは担任教師が引率したが、そのほか、校庭にいた一般の人たちへも7学年の先生方が声をかけており、大勢の一般の人たちが一緒になった。子どもが一般の人に紛れないように、また、慌てて事故が起きないように、自分の学級だけでなくほかの階段を昇る人に聞こえるように、「ゆっくり。階段をよく見て。」と何度も低く大きく声をかけながら昇った。男の先生が誘導指示してくれた記憶あり。
地区の住民らしき人が「貞山堀を越えてきた」とか「もう津波が来てるぞ」と言いながら避難してきた。足の悪い方もいた。
15:55増田川津波遡上・被災者救助
2階教室に入ってまもなく、目の前の増田川を津波が遡上していくのが見えた。初めは木やドラム缶が流れてきたが、そのうち車が流れてきたのを見て子どもたちはどよめいていた。あの中に人は、と考えるととても怖くなった。「人が流れている」と言っている子もいた。
保護者たちから叫び声が聞こえた。子どもが目にしないように、子どもたちには立たないように指示した。
流された人が地域の人たちに非常階段から運び込まれてきた。全身泥だらけで、体からはシンナーの臭いがして皮膚は紫色になっていた。「みんな死んだ」と訴えてきた。意識はあったが顔色がチアノーゼだったので、携帯電話で救急車に連絡した。救急隊員につながったが「意識があるならそちらで対応してくれ。」という返事だった。職員室からAEDを持ってきてきた。体が冷えていたので服を脱がせ、ジャージを着せた。震えと嘔吐がはじまった。毛布や布団をかけ地域の方と一緒に手でさすって体の保温に努めた。東北国際クリニックの先生が避難してきて「何かあったら声をかけてください。」と言われたので、溺れた方をみていただいた。
教務主任は、理科室から増田川の遡上を見た後、昇降口に行き、外からの避難者の対応、誘導にあたった。
15:55屋上へ避難指示 16:10杉ヶ袋に津波到達
2階教室で津波が着たのを見ていたときに「津波が来たので屋上に避難してください。」という連絡が入った。みな落ち着いて移動。4人の子どもを連れて避難。廊下、階段は多少の混雑と騒ぎあり。子どもが手元から離れないように気を付け子どもの呼名を時々しながら移動。3階から屋上にかけての階段は薄暗く足場が悪いので、「ゆっくり、階段を見て。」を再び繰り返した。屋上に上がってまもなく強い風。雪が降り始める。風雪を避けるため。屋上のドア付近にいたところ、余震。今度は他の人に「フェンスの近くやコンクリートの建物の近くは危ないから離れるように。」と声をかけられ、屋上中央へ子どもを移動させる。4人でジャンバーのフードをかぶり、押しくらまんじゅう状態でじっとうずくまっていた。雪が強くなる。どんどん子どもたちが濡れて冷えてきた。ものすごい人数が屋上にいることに気付く。目の前まで来た津波を眺めながらも、目の前のものは高さが全く感じられなかったので、北釜や飯塚などに屋根を越すような津波が襲っていたということには全く気付かず、また、不安や心配もなかった。長い時間が過ぎたように感じたが、屋上にいた時間は20分程度。
遠くに波ではなく、一面の水がゆっくり西に向かって進んでくるのが見えた。杉ヶ袋の田んぼから耕谷地区へ。「うちまで来ないで。そこで止まって。」という叫び声が聞こえた。津波の先端は耕谷の道路を横切り、西に向かっていた。車や様々な物もたくさん流れていた。増田川も次から次へと様々なものが逆流してきた。
閖上、仙台方面の3〜4か所から火の手が上がっていた。
公民館の職員や消防団の団員が柚木橋付近にいる人に、学校に避難するように呼びかけていた。流されていく車や人を助けたいが助けられないという話が聞こえてきた。
16:20子どもを音楽室へ移動
学校の子どもは音楽室へ移動するようにという指示あり。来たときと同様に声をかけながら降りる。家庭科室、理科室、図工室などには家族づれが入る。子どもたちの安全確認をして、音楽室中央に座らせる。5年生が大勢で車座になり大騒ぎで盛り上がっていた。不安の裏返しだろうか。
津波の中、迎えに来た保護者で3階がごったがえしていた。
図工室にお年寄りと乳幼児を抱いた親子を誘導し、乳幼児とお年寄りには保健室から持ってきた布団を利用するよう声をかけた。断水したので、トイレの使い方について指示をした。
余震発生多数。そのたびに「しゃがんで。大丈夫。」と声をかけた。
16:40駐車場の浸水
公民館前の交差点から浸水が始まる。その後、校舎北側の駐車場の排水溝からも水が噴き出す。やがて駐車場全体が浸水し、プレハブ倉庫と体育館の間から校庭に水が入っていく。
公民館と学校の交差点がひざ上まで浸水し、途中で身動きが取れなくなった車が車道に乗り捨てられていた。道路をズボンをまくりながら歩いている人がいた。職員駐車場の車が浸水していくのをどうすることもできずただ見ていた。校長が「職員の車を動かさないと…どこかに動かせないか…」と言っていたが、あっという間に浸水してしまった。
16:50防寒・浸水の対策を指示
音楽室に職員が集められる。暗くなってきたことへの対応と、プレハブ校舎1階が浸水する懸念についての話がでた。@3、4年担任はプレハブ校舎の1階のランドセルを2階へ運ぶ。Aトイレの対応、ごみ箱を集めてごみ袋をかぶせてトイレに設置。B明かり探し。懐中電灯やろうそくなどあるだけ探して集める。Cカーテン外し。
プレハブ校舎に向かったときにはまだ明るかった。渡り廊下が水浸しで、はいていた靴がすっぽり水につかった。戸を開けると、中のスロープまで水が上がっており、廊下の床面が水につかるのは時間の問題かと思われた。二人ずつ分かれてランドセルを運んだ。一人で2つぐらいしか運べず、何度も階段を上り下りした。しだいに暗くなってきたが、床に落ちた荷物はできるだけ、ロッカーや机の上など高いところに置くように急いだ。CDラジカセが落ちていることに気付いた。どこにおけば余震がきても落ちないか悩んだが教師用机に乗せた。
17:00 3階教室からカーテンはずし作業 17:30日没
カーテンを外すことになり、暗闇の中、1階教室に行く。その間も余震があった。カーテンを外す人、ピンを外す人などで3、4人一組で。脚立などはなく、窓枠に登りながら。生活科室で足場の悪いところを上がっていたときに強い余震があり、落ちるのではとどきどきした。まだ星は見えていない。カーテンは音楽室へ。
教室にある子どもの荷物をできるだけ高い位置に移動し浸水に備えた。カーテンを子どもに配布、日が落ちるとぐっと寒さが増した。
冷えてきたため、各教室から体育着を運ぶことになった。自分のものというわけではなく、5、6年の先生方が5、6年の廊下にかかっていたものをいくつかもってきてくれた。子どもたちは羽織ったり、足もとにかけたりした。体育館のマットをしくと寒さよけになるのではと皆で体育館に向かうが、通路が水没しており断念。
水没した車のクラクションがなり、ハザードランプが点滅する。
公民館から発電機とライトが持ち込まれた。
19:00名簿作成の指示
避難所体制に入りつつあった。名簿作成にあたり、保護者が校舎内にいる子は音楽室の名簿からは除くことに。保護者のもとへ行くように子どもたちに伝える。バインダーに罫線紙をはさんで鉛筆で記入。6年生から順に声をかけ、集めて名前を聞き記入。妹弟が一緒の場合は一緒に話すようにと伝えた。教師名と音楽室にいた数家族も記入。宿泊者313名、美田園地区の住民も多い。
しだいに「おなかがすいた」との声があちこちで聞かれたが食料はなし。
無線連絡
公民館職員が無線で生涯学習課と一晩中交信していた。
食料到着・配布
スーパーマーケットのかごに入った食料が届いた。配分するには難しい食料もあったが、消費期限が近かったので、3階各教室に提供した。
食パンとソーセージ半分、ペットボトルの水を分けたとのは23時ごろだったか。半分ぐらいの子は寝ていた。
就寝
音楽室で寝たが、なかなか眠れなかった。外からは車のクラクションの音が聞こえ、車の泣き声のようで悲しかった。眠れなくても体は動かず、5年生の子のお母さんが夜中に何度も起きて子どもたちにカーテンをかけ直していた。すばらしいと思いつつも動けなかった。
救助者の看護
夜になり。また、流された人がきた。胸のあたりを強く打ち、震えも止まらなかった。東北国際クリニックの先生に診察して頂き、地域の人たちに手伝って頂きながら毛布をかけ手で体をさすり保温につとめた。しばらくしてから、教務主任からまた一人、流された人がいると伝えられ、東北国際クリニックの先生に伝えたら、ここでは無理なので「増田のほうに行った方が良い。」と言われた。しばらくしてから、救急車の音が聞こえた。救急隊員の人が非常階段から図工室に入ってきたので、4名を搬送してもらった。夕方、流された人。夜に流された人。「増田の方に行った方が良い」と伝えた人。腕を骨折し治療中だが痛みがあった人。
駐車場の浸水
駐車場の浸水は20〜21時がピークで50cmぐらいだった。朝までには引いた。
安否確認
夜遅くなっても消息不明の人を探しくくる人が多かった。教務主任は、昇降口前で、臨空公園近くの排水機場から避難してきた4人と夜を明かす。